「なぜですか……今日の先生はなんだかおかしいです……いつもは命を惜しむなとおっしゃるのに……」
「自分の立場を知ることと、忠誠を誓うことは別物だ。一緒にするな。それが分からないうちは、お前がダイアナお嬢様になることはない。どうしても分からないというのなら、こんな仕事など早くやめてしまえ。そうすれば、ジュアン家も時間を無駄にしなくてすむというものだ」
少女は痛いところを突かれ、顔をゆがめた。
彼女はいつもこの力強い背中を恐れていた。冷たく鋭すぎる言葉の数々が、心の闇をやすやすとえぐり出すからだ。だが今日は違う。ハサドの声が耳元でこだまして、少女に大きな勇気を与えた。
――このままじゃダメだ。悪夢と戦わなければ。
「……違います」
レイザーは振り返った。
少女はレイザーのすぐ後ろに立っていた。両手をギュッとにぎりしめ、怒りと恐怖と反抗心が入り混じった目を、まっすぐ彼に向けている。
「私は……何も……間違っていません」
少女の目に涙が滲んだ。
「聞こえないな」
「どうして一緒にしてはいけないの? 私があの人たちのことを大切に思っているかぎり、たとえ駒としか思われていなくても、私はかまいません」
少女は身体をこわばらせながらも、自分自身に宣言するかのように声を張り上げた。
「ジュアン家を大切に思っているから、ジュアン家の未来を守りたい……この考え方は間違っていません」
「愚かな考えだ」
「先生――あなたは――」
少女は体中に冷汗をかきながら、力のある言葉を必死で探した。
「あなたの言い方は、横暴すぎます!」
「もちろんだ。俺の言っていることは事実だからな」
「私がダイアナお嬢様に似ていないのがご不満なら……もっとうまくやってみせます!」
少女は激昂して言った。
「ダイアナお嬢様そっくりになって……私の考え方が間違っていないと……証明してみせます!」
「ふん、そうか?」
レイザーは両手を組んだままゆっくりと振り返り、少女の前に立ちはだかった。
「言葉で説得できないときはどうすればいいか、教えてやろう——相手に勝つことだ。これが相手を納得させる、もう一つの方法だ」
少女は唾を飲み込み、全く動じる気配もない長躯を見つめた。
少女がやみくもに手を振り上げるも、レイザーは動じることなく易々とその手を掴んで懐に引き寄せた。そのまま砂樹の雫の陰に身を隠し、砂丘の向こうを睨みつける。
「先生?」
少女は一瞬とまどったが、遠くで動いている何かが、不穏な空気を纏いながらこちらへ近づいてくることにようやく気が付いた。
「五、六人といったところか。砂樹の林に入ろうとしている。あれは……」
レイザーは砂樹に手をかけ、しばらく聞き耳を立てた。
「おそらくトカゲ人間だ」
「おそらく?」
「トカゲ人間なら尻尾を引きずる音がするはずだ。だが奴らがわざと尻尾を持ち上げて前進しているのなら、人類の足音と区別がつかない。相手がもう少し近づくまで、このまま待つぞ」
「私には違いが分かりません」
少女も聞き取ろうとしてみた。
「別にいい。お前にそこまで期待してはいない」
レイザーは少女の肩を軽く叩くと、前方にそっと推し出した。
「――トカゲ人間だ。お嬢様のふりを続けるんだ。俺からあまり離れるな」
「いったい何が――」
少女は思わず後ずさりした。砂丘のあたりにある人影が幾筋もの砂塵をあげながら、ものすごい速さでこちらへ向かってくる様子を見て、少女は息を呑んだ。